体臭改善のために。1日10分の行動から、体臭をスッキリ改善する方法。

体臭にまつわるエピソード(その7)

(※とある女性の手記です)

 

ふわっと、そのニオイがした。

 

切なくて、懐かしくて、心地良くて、そして私にとってはたまらなく愛おしいニオイである。

 

漢字なら、「匂い」でなく「臭い」と書くのが適切だろう。何故ならそれは、他の人にとっては決して好ましくないと思われるニオイだからである。

 

亡くなってからもう3年になろうか。大好きだった私のおばあちゃんのニオイである。

 

年齢を重ねると、その人から独特のニオイがすることがある。単純に、加齢臭といったものを指して言っている訳ではない。生きていく上での酸いも甘いも限りなく経験した高齢の方は特に、そこに本人の人生が凝縮されているような、何とも奥深いニオイがすることがあるものだと私は考えている。

 

そういうおばあちゃんのニオイが、私は大好きだったのだ。単にそのニオイが元々好きなのか、大好きな人のニオイだから好きなのか、今となっては分からないしどちらでもいいのだが、とにかく、私は大好きなそのニオイに包まれて育った。

 

おばあちゃんは学校の先生をしていたけど、結婚して子供(つまり私のおかあさん)を産んで早々に旦那さん(つまり私のおじいちゃん)を亡くし、苦難に満ちた人生を歩んできた。それでも私の前では、そんなことをおくびにも出さず、いつも明るい笑顔で、目いっぱいの愛を注いでくれた。私はいわゆる「おばあちゃん子」だった。それも、恐らく極度の。

 

そんなおばあちゃんが心臓の疾患で亡くなったのは、突然だった。前日まで本当に元気だったのに。○○(私の名前)とあそこに行きたい、ここも行きたいと、目をキラキラさせながら、旅行の話をしていたのに。

 

おばあちゃんからは色々なことを教えてもらったけど、最後の最後に教えてくれたのは、人生の儚さ、どんな人間でも突然死んでしまうことがあるというこの世の切ない不条理だった。そんなの、教えてくれなくて良かった。知りたくなかった。

 

それから時は経ち、ようやくおばあちゃんの死という現実を受け入れられた自分を意識し始めた矢先のことであった。日付が変わろうかという時間帯、一人トボトボと歩くいつもの帰り道、ふわっと、本当にふわっと、そのニオイがしたのだ。

 

私は霊感がある訳ではない。むしろ、その類いの経験がないこともあり、全く信じないたちであった。にもかかわらず、その時だけは、おばあちゃんが自分に会いに来てくれたのだと確信した。何故か、勝手に涙が溢れて、止まらなくなった。拭っても拭っても、とめどなく涙が溢れ出てきた。多くの霊体験や怪談話がそうであるように、起こった事象に対する明確な理由も根拠も必然性もなく、私自身よく分からないというのが正直なところではある。だが、あの現実感は、巷のそういった話と同列で語られたくはなかった。あれは間違いなく、おばあちゃんが来てくれたのだ。

 

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